便利さの裏に潜む「心の不便」。現代人が豊かさの中で失ったものの正体
人生を自由に!カオルさんです。
今回のテーマは「便利は不便を生む」というお話です。少し哲学的な内容になりますが、僕がかなり前から感じていた違和感についてお話しします。
進化するテクノロジーと、反比例する幸福感
結論から言うと、世の中が便利になればなるほど、僕たちは実は不便になっているのではないかと感じています。
僕が10代の頃はポケベルの時代でした。そこからPHSが生まれ、ガラケーになり、今はスマートフォン。確かに便利になりました。ビジネスはやりやすくなり、ググればすぐに正解が出てくる。SNSで誰とでも繋がれる。でも、これほど便利になって僕たちの生活は本当にハッピーになったのでしょうか。
例えば携帯代一つとっても、昔は月1,000円台だったものが、今や1万円近く請求されるのが当たり前になりました。そして象徴的なのがSNSです。便利になった裏側で、誹謗中傷で命を落とす人がいたり、他人のキラキラした投稿と自分を比べて落ち込んだりする人が溢れています。便利さが加速しているのに、日本の自殺率はトップクラスのまま。この矛盾におかしいと感じることはありませんか?
「見なくていいもの」まで見えてしまう時代の罠
便利になればなるほど、僕たちは本来「見なくてもいいもの」まで見てしまうようになりました。
昔であれば、近所の人たちとの付き合いがコミュニティのすべてでした。しかし今は、スマホの画面一つで世界中の人の豪華なライフスタイルが見えてしまいます。それを見て刺激を受けるなら良いのですが、自分の生活とのギャップに苦しみ、マイナスの感情を抱いてしまう人も少なくありません。
YouTubeやXでのアンチコメントもそうです。これだけ便利になって生活が効率化された結果、実は僕たちは「暇」になってしまったのかもしれません。その暇な時間が、誰かを攻撃したり、不要な情報を追いかけて不安になったりすることに使われている。便利という魔法の裏側には、常にこうした「心の泥臭い部分」がくっついているのです。
あえて「不便」を選択して気づいた本当の豊かさ
僕はこうした便利さの罠を危惧して、4年前からあえて不便な環境に住むようにしています。今の住まいはコンビニが18時に閉まりますし、街灯もほとんどありません。スーパーに行くにも車で10分以上かかります。
もちろん、ネット環境は整えているのでビジネスに支障はありません。でも、あえて物理的な不便さを身近に置くことで、「便利だから良い」という幻想から距離を置くことができます。便利なものをすべて捨てろと言いたいわけではありません。ただ、その裏には必ず「不便」や「リスク」が潜んでいることを、僕たちは認識しておくべきなのです。
おじいちゃん世代が持っていた「生きる力」を忘れない
僕たちの親や、おじいちゃん・おばあちゃんの世代は、今の生活レベルからすれば考えられないほど不便な世の中に生きていました。でも、彼らはその中でたくましく、楽しく生きていたはずです。
今は、便利なものを手に入れるステップが簡単になりすぎて、大切な何かを忘れているような気がしてなりません。便利なツールに使われるのではなく、その裏側にある不便さも理解した上で、主体的に使いこなす。この意識がないと、いつの間にか現代社会の巧妙な罠にハマってしまいます。
便利さは決してゴールではありません。それがあるからこそ生じる「不便」に目を向け、バランスを保ちながら人生を自由にデザインしていきましょう。
人生を自由に!カオルさんでした。