常識・非常識なんて関係ない

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250Kmの高校生のお話をしたいと思います。

250Kmというのは走る早さで、高校生というのは、まだ19歳になっていないあの制服をした高校生の事です。

普通なら250Kmで走れるような高校生なんていません。

※走れる人がいたら紹介して下さい。

高校生の正体とは?

正体を明かすと250Kmで走る高校生というのは、「鈴鹿サーキットを特別に走らせてくれた高校生」なんです。

鈴鹿サーキットってあのフロストとか、セナとか、色んな有名人がF1の舞台で使っている国際レーシング場の事です。

普通は鈴鹿サーキットでは高校生は走らせてくれません。

普通は。

じゃあなんで走らせてくれたかというと、将来F1レーサーとして有望な選手の中でも特別に限られた人
が招待されて走らせてくれたようです。

※鈴鹿サーキットの管理人さんに聞きました。

何が言いたいか?
というと、「普通」というのは、「高校生でも破れる」という事です。

僕たちは年を取るに連れて、この「普通」という「常識」にとらわれるようになります。

透明な、目にも見えないバリアがどこを見渡しても周りを見渡せないように仕組まれている。

という感じです。

そして、私たちは「そのバリアの中のみ」で物事を判断しようとしてしまいがちだったりします。

でも本当はそんなバリアは実在するわけではなく、自分が勝手に作った幻想
に過ぎないんです。

なぜか私たちは特別何か新しい事をしようとしたり、アドバイスをもらった時に、自分の価値観(バリア内)の事以外の事であれば、非常識と、さも普通ではないかのごとく否定したりします。

本当の自分を知る

大切なのはここからです。

「非常識」と捉えるのも「常識」として捉えるのも自分次第だったりしますが、大切なのは、「その常識で自分の目標を達成出来るか?」という事。

仮に年収1000万円稼ぎたいのに、年収300万円の人のアドバイスを聞くのか、年収3000万円の人のアドバイスを聞く。

どっちが正しいかというと、おそらく後者です。

でも、年収3000万円の人のアドバイスというのは、おそらくその人にとって「未知の領域の話」をするので、「非常識」に聞こえるでしょう。

本当に大切なのは、その事自体が「常識・非常識」ではなく、本当の自分の望みがなんなのかを知るという事だと思います。

その物自体にフォーカスを当てていては、いくら鈴鹿サーキットを高校生の時に走りたいと思っていても、いつまでたっても鈴鹿サーキットは走らせてくれないでしょうね。

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