「人生に自由と選択肢を」。創造力と挑戦を尊重し、個人が可能性に気づき豊かな人生を実現できるよう支援します。

「親のレールはダサい」。3人兄弟、養育費ゼロの極貧生活から這い上がった反骨心

人生を自由に!カオルさんです。

今回のテーマは「僕が父親の事業を使わなかった理由」です。

僕の両親は、僕が3歳か5歳くらいの時に離婚しました。僕は母親と一緒に3人兄弟で住むことになったんですが、父親はすぐに再婚し、自分で事業を始めて代理店の社長になっていました。

20代後半、リサイクルショップで働いていた僕に、その父親から「岡山に帰って数年修行し、跡を継がないか」と誘われたんです。

月収80万の誘惑と、ふと湧き上がった「違和感」

当時の僕の給料は手取りで20数万円。対して父が提示した条件は「手取りで80万」。普通に考えれば「やったー!」と飛びつくような話ですよね。実際、一度はOKを出して、話を進めるつもりでいました。

でも、後からじわじわと違和感が襲ってきたんです。

「誰かが敷いてくれたレールに乗っかるだけなのは、フェアじゃない。何より、ダサくないか?」

当時の僕は、冷蔵庫や洗濯機を直しているだけの「何者でもない」存在でした。それでも、自分の手で何かを作り出したい、自分自身で人生を開拓したいという欲求が、目先の安定よりも勝ってしまった。結局、「ごめん、やっぱり無理だ」と断りました。

養育費ゼロ、極貧から生まれた反骨心

こう話すと、「やっぱり育ちがいいからそんな余裕なことが言えるんだ」と思われるかもしれません。でも、現実は真逆です。

父は自分の浮気で別れたくせに、慰謝料も養育費も一銭も払っていませんでした。3人兄弟で、小学校の頃から自分たちで洗濯し、ご飯を作り、生きるために必死に動かないといけない家庭環境でした。週末にどこかへ遊びに行くなんて、夢のまた夢。

そんな「何もない」ところからスタートしたからこそ、社長になりたい、自分の力で成功したいという火が消えなかったんだと思います。

あの日の決断が「正解」に変わった瞬間

父の事業はその後、別の後継者が引き継ぎましたが、時代の流れとともに市場が縮小し、どんどん衰退していったと聞きました。もしあの時、僕が楽な道を選んで継いでいたら、今の自由な生活も、事業を売却する経験も、この講座も存在していなかったでしょう。

自分の直感を信じて、ダサいと思う道を選ばなかった。その決断が、結果的に僕を救ってくれました。

人生は、誰かが用意した椅子に座るより、自分で椅子を作る方がずっと面白いし、最終的には安定します。もし、あなたが今「楽な道」と「ワクワクするけど険しい道」で迷っているなら、自分の「魂が納得する方」を選んでみてください。

人生を自由に!カオルさんでした。